2026年 03月 08日
第103回「その後の『新宿スイング』」
【そして文化祭へ 第三章 幕が上がった】第一回 演劇部
神奈川県立森山高等学校の昭和五十年度文化祭の日がやってきた。十月十四日、日曜日。翌日は敬老の日で祝日。
体育館で行われる演劇部と吹奏楽部の公演スケジュールは、演劇部が午前で合唱部の次で午前十一時からの一時間、吹奏楽部は昼休みを挟んで午後一時からの軽音楽部の次で二時半から。
この日、家族、友達、知り合いなど演劇部と吹奏楽部の部員の関係者が大挙して訪れた。
◆◇
『北条政子』がフィナーレを迎え、演劇部員たちは観客の盛大な拍手を浴びている中で幕が閉じられた。
やっと終わった。客席から見てかみてに立っていた袴姿の良太は深い溜息をつきながらその場に座り込んだ。
舞台に中央に設えた高床の上では部員たちが洋子や美紀、薫子を囲んで泣いている。観客に聞こえてはいけないから声は押し殺している。真吾はその輪に入れずに少し離れたところで立ち尽くしている。郎党として様々な情報を政子にもたらした真吾の定位置だ。
良太は真吾に近付いていって肩を叩いて握手を求めた。
(やったな)声を出さずに真吾に言った。
真吾は照れくさそうに笑い強い力で握り返した。
照明係の部員二人が幕をかき分けて舞台に上り、泣き続ける部員たちの輪に交じり、泣き始めた。顧問の山下はそんな部員たちを温かく見つめていた。
九月十五日の創立記念日に行ったリハーサルの出来は散々だった。
素人の男子部員が足を引っ張っていた。良太は覚えたセリフを忘れないうちに吐き出そうと早口になって聞き取りにくいし、間の取り方が悪い、落ち着きがない、現代的な雰囲気過ぎるとアンケートに書かれてしまった。
平安時代末期という時代の雰囲気として、落ち着きのある口調、ゆったりしたスピードと間が大切だ。洋子や美紀からそれを徹底的に直された。
真吾は朴訥な感じが野性的な武士に合っていたが、良太と同じく早口で、その上、真吾の場合は滑舌が悪いので聞き取りにくい。また、動きの硬さがなかなか取れない。真吾のことだから激しく反発することが予想されたが、意外にも素直に部長と副部長の指導に従った。
その他の役は演劇の経験者ということから及第点だが、平安末期の武士階級の女たちの所作がうまくできない部分を名取にしごかれた。
内容についてはおおむね好評だった。なによりも政子の存在感、女として自立していく様がリアルだと。政子を演じた薫子はリハーサルで存在感を増した。オーラさえまとい始めた。
たぶん真吾の存在が大きいと、部員全員が理解していた。
後ろの方の席で五十嵐蘭や井村元と並んで座って観ていた大野初美は、芝居が進んでいる最中、ずっとハラハラしていた。良太が無事に芝居を終えてくれることを心の中で願っていた。だから、他の役者の芝居はほとんど注意を払っていなかった。太から頼朝役でなくなったと聞いた時、内心ではすごくうれしかった。劇とはいえ、政子=薫子との恋人シーンを観なくてよくなったからだ。ある意味、幸せな女の子である。
生徒会の三人の舞台に向かって右横には、ミントの田沼蓮子と、キングドラゴンから真吾と蓮子によって救出された森本弥生が座っていた。弥生の心中は複雑だった。あの日、「弥生、迎えに来たぜ」からずっと真吾のことが忘れられなかった。でも、あの事件からそんなに経っていない頃、薫子から、真吾のことが好きだと聞いて「良かったね」と心にもない返事をしてしまった。
今日、薫子に誘われてやってきたけど、舞台の二人を見て、諦めがついた。二人の間の絆の強さがこんなに遠くからもはっきり分かる。なによりも薫子はきれいになった。今まで自分の方がまさっていると思っていたけど、完全に負けている。舞台の二人が涙で滲んできた。その時、左隣の蓮子が手を優しく擦ってくれた。(分かってるよ)というふうに。
◆◇
開演前、生徒会の三人の二つ前の列には、臨太郎の関係者がずらりと顔を並べていた。舞台に向かって左から岸一恵、岸太、真上りん、真上誠治、臼田絹、能見丈二。
このご一行が来る前に、一番前の席には森山高校の不良ども、言い換えれば真吾の顔見知りが何人か陣取って、大騒ぎをしていた。奇声を上げたり、指笛を吹き鳴らしたり。教師が来て注意すると、その時だけ静かになるが、すぐに騒ぎ出す。
そこに臨太郎の関係者六名は入ってきた。一行に気付いた一人の悪童が騒ぐのをやめた。そして他の連中も腕力で黙らせ、小声で何か言うと、不良どもは誠治と絹にお辞儀をしながら体育館を出ていった。
「何、あの子たち」とりんが不思議がると、「俺たちが新宿から来たから出ていったのさ」と誠治が答えた。
「あの子、一斗缶の灰皿を持ってきてくれた子ね」。絹が微笑んだ。
「不良老人たちを見て、ああなっちゃいけない、自分たちの教育に悪いって出ていったのよ」。一恵が言った。
「相変わらずだね、かずちゃんは」。丈二が吹き出した。
幕が下りた直後、太は「なかなか見応えがあったね。高校生の演劇じゃないみたいだな」とつぶやいた。
「あの子、説明役をやった、倉谷君て言った子、ぴったりだったね。あの時、高校生には思えないぐらい弁が立ち過ぎると思ったけど、あれが生きていたわ」と絹。
「郎党をやった木下君、あん時、俺に盛んに腕っぷしのこと聞いてたが、見方によっちゃ不器用さが昔の武士に合ってるかもな」と誠治。
そこに五十嵐蘭が近付いてきた。
「あ、生徒会長。五十嵐蘭さんだったわね」。一恵が声を掛けた。
「はい。こんにちは。この間はごちそうさまでした」
「こんにちは。お元気?」
「元気です。生徒会の井村元君、大野初美さんです」。二人を紹介した。
「じゃ、こっちもね。うちの亭主はこないだ会ったね。岸太。私の母親、真上りん、父親、真上誠治。丈二と絹のご夫婦。有名な不良老人たちだ」
コラッ! 叱声が飛んだ。
それにもめげず一恵は「蘭ちゃんはこないだ、臨太郎を訪ねてうちに来たの。何か頼みがあったらしいけど、解決しちゃったみたい。この人、凄腕の生徒会長なのよ。ねっ」と言った。
◆◇
幕を閉めたままで演劇部員たちが舞台の上の片づけを始めた。
「部長、もう少し衣装のままでいていいですよね」。侍女役の二年生が洋子に聞いた。
「だめよ、リハーサルと今日の本番の二回着ているんだから。早く脱いでクリーニングしてお借りしたところにお返ししなければ。それに今回着れなかった人が可哀そうでしょ。早く部室で着替えましょう」
はーい、という不満げな声が挙がった。
「でも、薫子だけは特別。おばあさまと妹さんたちのところに行ってあげなさい」
薫子は嬉しそうにうなずいて、舞台の階段を降り祖母と中学二年の妹、小学四年の弟のもとに走り寄った。そこに蓮子と弥生も近寄っていった。
「あ、蓮子さん! あの子は誰かしら?」
「あの子が『弥生、迎えに来たぜ』よ」
そのセリフを言った当人、真吾を姿は…良太とともに消えていた。たぶん、一服しに行ったのだろう。
薫子の舞台姿はこれが最後。定時制に移っても全日制の演劇部の部活が続けられる話を、薫子は柔らかく断った。未練を残して働くのは辛いと、部員たちに語った。
いい役者が花開こうとしていたのに…洋子も一服したくなった。

