2021年 06月 28日
第1回●ラーメン屋のBGMがジャズの安住の地?
キーワード:ジャズの存在価値/ジャズは飲食店のBGM/美の壺/音楽は“死んでいる”/「昭和歌謡」や「シティポップ」
「日本人にとってのジャズ」というタイトルで、このブログは何を語るのかということをまず説明する。
私は昭和33年神奈川県逗子市生まれの初老男だ。ジャズについて語りたいというからにはジャズが好きであることはもちろんであり、加えて、日本におけるジャズの存在価値について憂慮しているフリーライターだ。
このブログを開いていただいたということは、ジャズという音楽がお好きか、少なくとも興味がある方とお見受けする。1つ疑問を呈するが、飲食店で流れるバッググラウンドミュージック(BGM)として耳にすることが多いのがジャズなのはなぜだろうか。
ステロタイプのイメージでは、バーや喫茶店、カフェなどの飲食店などで抑えた音量で流されている音楽ジャンルと思われる。
が、実際は居酒屋、焼き鳥屋、ラーメン屋、うどん屋、中華料理屋など、本来ジャズがBGMとして流れていては、その店で提供する料理の特徴を壊してしまいかねない店でジャズが流れている。
例えば、カウンター10席、ボックス席2つ、カウンターの中にはタオルを頭に巻き、店名をプリントしたTシャツの調理人が、これ見よがしに湯切りをしているようなラーメン店は、本来なら歌謡曲がお似合いだろう。しかし、その店にはビル・エバンスの流麗かつキレの良い上品なソロピアノが流れている。実在している店ではないが、大方こんな感じだろう。
本来なら合わないもの同士が、意外に合う。ジャズがラーメンの邪魔をしない。というより、ジャズはこのような環境で自己を主張しない。例えば、このラーメン屋にクラシックが流れていたらどうだろう。ラーメンの味が変わってしまうのではないだろうか。
何故かジャズにはそれがない。とはいえ、ジャズのジャンルや演奏の仕方によってはBGMには向かない。例えば、初期のジャズで賑やかなディキシーランドジャズや、即興演奏(アドリブ演奏、インプロバイゼーション)が白熱するビバップ、ハードバップ、何でもありのフリージャズは食事の“お伴”にはならない。
ジャズの代表的“巨人”の1人であるサックス奏者のジョン・コルトレーンであれば、フリージャズへの扉を少し開いたアルバム『ラブ・シュープリーム(至上の愛)』はBGMに向かないが、バラードアルバム『バラッド』は食事の邪魔をしない抑制された演奏だ。
BGMに向くジャズはバラード、トリオやクインテット、カルテットなど少人数による聞きやすく抑制されたインストロメンタルのモダンジャズか、歌唱が中心のバラードのスタンダードナンバーに限られるような気がする。
分かりやすい例がNHKのBSプレミアムで放送されている『美の壺』。番組が始まるとともに流れるのはアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの『モーニン』だ。「ファンキー・ジャズ」の代表曲はもはやこの番組には欠かせないナンバーとなっている。番組内でも随時、効果的に様々なモダンジャズが使われる。
私はこの番組の長年のファンで欠かさず視聴する。本来のテーマである様々な美のツボをそっちのけで、曲名当て、演奏者当てクイズにはまり込んでいることもしばしばだ。
同様に、私のようなジャズマニアが飲食店に入ってジャズが流れていたら致命的で、本来なら食事に集中すべきところ、耳に入り込んでくるジャズに意識が引っ張られる。ジャズマニアの“病気”であり、店の“罪作り”だ。
とはいえ、ジャズマニアでもファンでもない一般人にとっては、食事の“邪魔”にならない手ごろな音楽で、かつクラシックほど堅苦しくなく、ロックほどノリを強制しないジャズは“程良い”音楽ということだ。
放送メディアでもジャズ番組は皆無と言った状態だ。いわゆる地上波テレビでは特別番組も編成されない。BSテレビではNHKプレミアムが毎年、「東京ジャズ」を夜中に放送する程度で、むしろ前述の『美の壺』を視聴する方がジャズにより近く接している感がある。
ラジオでもNHKがFMで毎週土曜日夜11時からの2時間番組「ジャズ・トゥナイト」を放送する程度だ。いや、忘れていた。AMラジオ局、ラジオ日本はジャズ番組を編成しており、「ジャズ・トゥナイト」と並ぶマイノリティーのジャズファンたちの“最後の砦”となっている。
飲食店のBGMとしてのジャズの存在価値について、『戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ』(マイク・モラスキー著。岩波現代文庫)は「街の中で、店の中で、ジャズが流れる頻度という点では、じつはジャズ喫茶全盛時代をしのいでいるのではないか。ジャズのファンなら、これは歓迎すべき状況ではないか……」と書く。
同書は早稲田大学国際教養学部教授として、戦後日本文化史、特に日本・沖縄戦後文学およびジャズ音楽の受容史を中心に研究する1956年米国セントルイス生まれのモラスキーが書く戦後日本文化論。映画、文学、映像作品の中に表象されたジャズを読み解いている。
この後、必要に応じて同書を紹介するが、前述の記述で「ジャズ喫茶全盛時代」とあるのは1960年代、日本が学生運動で揺れ動いた時代のことだ。それはともかく、モラスキーの言い方は飲食店のBGMとはいえ、ジャズが人々の耳に入ってくる環境は「歓迎すべき状況」ということなのだ。
〈現在の日本では、ジャズを最も多くの市民の耳に届けているメディアというのは、おそらく個人が所有するCDやラジオやMP3やiPodなどのような音源でもなく、もちろん残り少ないジャズ喫茶でもなく、インターネットを通してでもないだろう。実は、町中の飲食店などで流れている有線放送のジャズ・チャンネルであるに違いない〉
〈ジャズを有線放送で流す多くの飲食店の場合、音楽は主に「雰囲気作り」であることは否定できないだろう。つまり、そのような店で〈ジャズ〉は、店のインテリアや照明などとほぼ同じ次元に位置づけられており、店の雰囲気を作り上げるための、ひとつの要素に過ぎない〉
前述の私の意見とほぼ同じだが、1つ大きく異なることがある。モラスキーの場合は、飲食店のBGMに甘んじている現在の状況は、“皆様のお情けで何とか置いてもらっている”居候であることで、私はむしろ、そうした屈辱的な立場を早々に捨て、アクティブに世間の奴らにジャズの魅力を再認識させるべき時期に来ていると考えるのである。
なぜなら、今、日本の音楽は“死んでいる”からだ。聴くべき音楽がないからだ。近年の若い世代における「昭和歌謡」や「シティポップ」の人気は、それを原因としているのに他ならない。聴きたい音楽、聴く価値のある音楽を探していったら、それは何十年も前の日本に存在したというわけだろう。
我田引水的な言い方をすれば、昭和40年代の昭和歌謡や1970年代80年代のシティポップのベースにはジャズがあるということを知ってもらいたい。このブログは、そのためのブログである。次回は飲食店のBGMに堕し切っていない証しをいくつか紹介する。
〈第1回:了〉
1) 戦後日本のジャズ文化—映画・文学・アングラ(マイク・モラスキー。岩波現代文庫。2017年5月16日第1刷発行)

