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旭利彦の「日本人にとってのジャズ」

第5回●私にとってのジャズ~1969年、危険な関係のブルース~

キーワード:ファンキージャズ/ムード歌謡/アニメ主題歌


 今回と次回は、私がジャズに出会ったいきさつについて説明したい。


 その前にご案内を1つ。今後、“上陸”したての日本のジャズ状況を紹介する予定(たぶん10月第3日曜日)だが、その前に参考として私が執筆した小説『新宿スイング』を別ブログ(URL: https://shinjukuswing. exblog.jp)で掲載をスタートする。当時のジャズに関わる日本の“姿”を感じてもらえば幸いと思う。全19回。


 なお、本ブログは従来通り、第1、第3日曜日に更新し、小説『新宿スイング』は第2、第4日曜日に更新する。第1回はイレギュラーで本ブログと同時に第1日曜日に更新するが、第2回以降はスケジュール通りに更新する。本ブログと同様、ご愛読をお願いします。


 さて、本編に戻ろう。

 

昭和44年(1969年)、私は11歳、小学6年生だった。ある平日の午後、季節は覚えていない。神奈川県鎌倉市材木座のあるアパートに住んでいた私は、トイレに行こうと思ったのだと思う。サンダルを突っかけてドアを開けた。両親は共働きで不在、7歳下の妹は保育園だったと思う。


 アパートは材木座海岸から子どもの足で数分の距離にあった。2階建てでハーモニカのようにいくつかの部屋が並んでいて、トイレは共同、風呂なしの4畳半と台所の狭いアパート暮らしだった。


ドアを開けて廊下に出たところ、右隣の部屋のドアが開き、住民が出てきた。男のようにがっしりした骨格の背の高い若い女だ。たまに部屋に男が訪ねてきていた。男は複数いた。

それを知って母親は父親に「ふしだらね」と非難する口調で話していたことを思い出す。


 ドアを出たとたん、隣人と鉢合わせしたので焦った私は、挨拶もそこそこにトイレに向かおうとしたのだろう。そこから記憶がない。半世紀以上前のことだから仕方がないだろう。


 覚えているのはその女からEPレコードを借りたこと。いわゆるシングル盤、ドーナツ盤と呼ばれる片面1曲、両面で2曲が入るレコ―ドだ。なぜ借りたかも、どうやって返したかも覚えていない。


 家にはポータブルのレコードプレーヤーがあった。蓋を開けると小型のターンテーブルがあり、その横にスピーカーが1つだけある質素なオーディオだ。


 それで借りたレコードを再生し聞いた。いくつかのラッパ(トランペットもサックスの違いも知らなかった)の音が重なり、それをズンズンいう音(ベースの存在も知らなかった)、太鼓の音(ドラムスの存在も知らなかった)が支えている。楽しい感じの音(メジャー音階。長調という知識はない)や、悲しい感じ(マイナー音階。短調)とは違う、変な音楽だったが子どもながらに“お洒落”だなと感じた。


 それは『危険な関係のブルース』という曲だった。演奏はアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ。1959年公開のフランス映画『危険な関係』のテーマ音楽だ。当時、フランス映画ではモダンジャズを使う作品があり、これもその一例。有名なのは『死刑台のエレベーター』の音楽を担当したマイルス・デイビス。実際に映画を見ながら即興で演奏したというエピソードは有名だ。


 ジャズ・メッセンジャーズはモダンジャズの中でも「ファンキージャズ」にカテゴライズされるグループで、第1回の中で『美の壺』のテーマ『モーニン』とともに『危険な関係のブルース』は日本人に人気の楽曲だ。


 今後、モダンジャズについて説明する中で述べるが、ジャズ・メッセンジャーズはモダンジャズを日本人に浸透させた最大の功労者である。時代は1960年代に入ったばかりの頃だ。


 それはともかく、11歳のガキの耳に『危険な関係のブルース』は全く違和感なく入ってきたということだ。高校生になってから様々な音楽ジャンルの中でモダンジャズとも触れる機会があったが、『危険な関係のブルース』はモダンジャズとはどうしても思えなかった。


 今になって分析すると、当時に音楽を聴く環境に理由があるように思える。当時の小学生にとってはテレビが最大の音楽メディアだった。テレビ各局が歌謡番組でしのぎを削っていた。そうした番組で歌われる歌謡曲のほとんどは大人向けで、特別に子どもの志向に合わせてはなかった。売れている、もしくは売れるだろう、または売りたいという条件で雑多に集まった楽曲がテレビから流れてきた。


グループサウンズによる若者向けの和製ポップス、実力派歌手による和製ポップス、演歌などの中で、いわゆる“ムード歌謡”が台頭し始めたのが昭和40年代だ。その中でもいわゆる「~ブルース」ものが数多く発表された。青江三奈『伊勢佐木町ブルース』や森進一『港町ブルース』、藤圭子『女のブルース』、内山田洋とクールファイブ『中の島ブルース』はそのほんの一部だ。ブルースの名前は付かなくても、西田佐知子『赤坂の夜は更けて/女の意地』、園まり『逢いたくて逢いたくて』などもムード歌謡である。


こうしたムード歌謡のルーツがスタンダードジャズにあるという分析を、今後回を重ねる中で説明していく。


話を戻すが、歌謡曲の番組でムード歌謡を“浴びる”ように聴くうちに、いつの間にか、『危険な関係のブルース』に違和感を抱かないようにジャズフィーリングが身の中に染み込んでいったのだろう。


 もう1つ大事なファクターがある。アニメの主題歌だ。196869年にフジテレビで放映されていた『妖怪人間ベム』の主題歌(歌唱:ハニー・ナイツ、作詞:第一動画文芸部、作曲:田中正史)、196768年にフジテレビで放映されていた『マッハGoGoGo』の主題歌『マッハ・ゴー・ゴー・ゴー』(歌唱:ボーカル・ショップ、作詞:吉田竜夫、伊藤アキラ、作曲:越部信義)は、いずれも日本ならではのメロディーとスピード感たっぷりのジャズが融合した楽曲だった。


 ムード歌謡とアニメ主題歌で十分に“耕された”耳には、『危険な関係のブルース』は親和性のある音楽だったのだろう。ところが、それ以上ジャズにのめり込むことはなかった。本格的にモダンジャズにのめり込むのは20代半ばだった。


〈第5回・了〉



Commented by パンプキンポット at 2025-03-26 09:29
1960年代の材木座、懐かしいなあ あの頃は花火大会も全然混んでなかった
海岸へ行く途中にあった小さな本屋、海水浴帰りにコロッケ買った肉屋 貧乏だけどまったりした良い時代だった
Commented at 2025-03-26 16:30
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by toshi58asahi | 2021-08-01 08:10 | Comments(2)