2021年 12月 17日
第19回●日本のジャズはどこに向かっているのか?
キーワード: モダンジャズ/ファンキージャズ/学生運動/政治性/フュージョン
全19回に亘って書いてきたこの「日本人にとってのジャズ」は今回で終了する。前回まで5回に亘ってジャズが影響を与えた日本の流行歌の歴史について紹介してきたが、その一方で、ジャズ自体は日本でどのような存在だったのかを最終回の今回、紹介したいと思う。その前に、ジャズの歴史としては1950年代のビバップ以降については説明したい。
【モダンジャズの時代はわずか20年間】
アメリカにおけるビバップの全盛期は1950年代初期までが全盛期と見られる。その後、ビバップはクールジャズ、ウエストコーストジャズ、ハードバップ、モードジャズ、フリージャズなど様々なモダンジャズのカテゴリーに細分化していく。
このあたりの紹介について踏み込むと紙数がいくらあっても足りないので省略するが、モダンジャズの2人の巨人であるマイルス・デイビスとジョン・コルトレーンはモダンジャズの発展の中心人物として発展に貢献している。
マイルスはビバップで登場しクールジャズとモードジャズを創始し、1969年にはジャズとロックを融合したクロスオーバージャズのアルバム『ビッチェズ・ブリュー』を出した。
これを機に、1970年代、ジャズの中心はマイルドでライトなクロスオーバー、フュージョンにとって代わられた。ビバップ、ハードバップ、フリージャズは一部の好事家のものとなり、実質的にモダンジャズの息の根を止めた。
一方のコルトレーンはビバップからハードバップへと進化し、マイルスやビル・エバンスとともにモードジャズを成熟させ、さらにはフリージャズの創始者たちの1人として存在した。1967年の死がモダンジャズの死を早めたと言われている。
「モードジャズ」については第8回で少し触れた。マイルス・デイビスが中心となってコルトレーンやエヴァンスとともに、全面的にモード奏法を用いて演奏した歴史的名盤『カインド・オブ・ブルー』(1959年発売)を出した。モード奏法の革新性とは、従来のコード奏法がコード(和音)に含まれる音だけで即興演奏を行うのに対し、モードはスケール(音階)に含まれる音を全て使用する。それまでにない概念でジャズは格段に自由度を増した。
それはともかく、モダンジャズの全盛時代は1940年代後半から1960年年代後半のわずか20年間で衰退し、フュージョンの時代に移行した。
ただし、スタンダードジャズないしはモダンジャズの熾火は消えていない。ジャズを愛好しアルバムまで出しているビッグネームのロックミュージシャンが少なからずいるからだ。
例えば、先日亡くなったローリングストーンズのドラムス、「チャーリー・ワッツ」はストーンズに入る前はジャズドラマーを志望していたという。『チャーリー・ワッツmeetsザ・ダニッシュ・ラジオ・ビッグ・バンド』や『チャーリー・ワッツ・クインテット-ア・トリビュート・トゥ・チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス』などのカバーアルバムを残している。
プログレッシブロックの雄、「キング・クリムゾン」は「21世紀のスキッツォイドマン」などのオリジナルの代表曲をモダンジャズにアレンジして聴きごたえのあるアルバム『クリムゾン・ジャズ・トリオ/キングクリムゾン・ソングブック』を出している。
元ジャズシンガーだった「スティング」が出したのが『ア・タッチ・オブ・ジャズ』。スタンダードナンバーのカバーアルバムだ。ロッド・スチュワートも様々なアルバムでスタンダードジャズを歌っている。
こう見ると、全員ブリティッシュロックであることに気が付く。何かあるのかなあ。
【1960年、日本最大のモダンジャズブームが巻き起こった】
視点を日本に変えてみよう。
第5回で「アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」の『危険な関係のブルース』が私のジャズとの最初の出会いであると説明した。そして、ジャズ・メッセンジャーズの「ファンキージャズ」がモダンジャズを日本人に浸透させ、日本で最大のジャズブームを巻き起こした最大の功労者であるとも書いた。
こんな背景があった。
〈50年代後半、アメリカではいわゆる「ハード・バップ」がジャズの主流となり、力強いビートとブルージーな雰囲気の黒人ジャズが日本にも入ってきました。その同じ時期に、フランス映画で黒人ジャズを音楽に使用することが流行し、『死刑台のエレベーター』(マイルス・デイヴィス)、『危険な関係』(セロニアス・モンクとジャズ・メッセンジャーズ)、『殺(や)られる』(ジャズ・メッセンジャーズ)などが日本でも公開されたのでした。昭和35年、その動きの中心にいたアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの〈モーニン〉が日本でヒットし、「ファンキー・ブーム」が巻き起こります〉
モダンジャズの愛好者でない日本人が『モーニン』のサビフレーズを口笛で吹くというエピソードがあるほど、モダンジャズが一般化した。1960年は日本におけるモダンジャズの歴史にとって最重要な年であるわけだ。
しかしまた。1960年代は日本のモダンジャズが急激に先鋭化し、短い期間で爛熟し、突如散っていった時代だった。なぜか。日本のモダンジャズとともに疾走したのが学生運動だったからだ。ともにラジカルになり過ぎて大衆から乖離した。
第14回で次のようなことを書いた。
昭和32年(1957年)頃、日本におけるジャズの立ち位置を暗示させる映画の世界の出来事があった。邦画では日活映画『嵐を呼ぶ男』であり、洋画ではフランスの一連のヌーベルバーグ映画である、と。
邦画の『嵐を呼ぶ男』はジャズが大衆に向けた流行歌への浸透を予見し、一方、洋画のヌーベルバーグ映画は一部の知識人層、文化人層に対するジャズの浸透を行った。
後者について「戦後日本のジャズ文化—映画・文学・アングラ」は次のように紹介する。
〈60年代から70年代初期の日本におけるジャズ文化を概観すると、もっとも注目すべき点は以下の3点だと思う。
⓵ジャズが大学生と若いインテリや文化人たちの間に深く浸透したこと、
⓶ジャズを〈観念〉として捉える傾向が強くなったこと、
⓷ジャズを観念的に捉えると同時に、何らかの(政治的または芸術的な)〈行動〉に結びつける可能性を探る芸術家が増えたこと。
(中略)
この時期にはジャズが安保闘争や学生運動などと関連付けられる傾向もみられ、政治色の濃いイメージが付着する。つまり、ジャズ界内外からもモダンジャズ、とくに60年代半ばから日本で注目を集めたフリージャズは、〈革新派の音楽〉として認識されるようになった。ところが、1970年代初期を過ぎた頃から、学生運動の挫折と入れ替わる、軽いフュージョン系のジャズが流行りはじめるにつれて、このイメージが脱落する傾向も見られ、1980年代では、ジャズの「政治性」がほとんど話題にならなくなったといえる〉
ほとんどどころか皆無になったと思う。ジャズが持つ政治性の意識が残っているとすれば、学生運動を行っていた年代のノスタルジーの中だけに存在しているのではないだろうか。それについての疑問は第6回で説明した。
第1回で書いたようにジャズが飲食店のBGMでも、地域興しのテーマでも、さらには全共闘世代のノスタルジーであっても、今の時代に残っているだけでいい。40年前の女性ジャズシンガーブームや30年前のアシッドジャズブームのように、今一度スポットライトが当たる可能性もあるだろう。
このブログで紹介した通り、ミュージシャン側にもジャズの熾火は消えていない。それどころか新しいジャズの火の手を上げようとしているミュージシャンもいる。それが燃え上がる日を待ちたいと思う。滅亡しかかっている日本のポップス音楽再興のためにも。
〈第19回・了〉
参考文献:
1) 戦後日本のジャズ文化—映画・文学・アングラ(マイク・モラスキー。岩波現代文庫。2017年5月16日第1刷発行)

