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旭利彦の「日本人にとってのジャズ」

第27回『新宿スイング~十手とジャズ~ 第一回ダンスホール「カメリア」』

今回から小説「新宿スイング」をスタートします。これまでと打って変わって小説ということで戸惑われるかもしれませんが、草創期の日本のジャズシーンのひとこまを小説で味わってください。


舞台は東京・新宿、時代は昭和十年頃。淀橋署の保安係(現在の生活安全課)の私服刑事、真上は新宿のダンスホールのジャズシンガー、能見につきまとわれる。ジャズは当時の日本の大都市、東京や大阪においては最高に“クール”な音楽だった。能見は日本で一旗揚げようとハワイからやってきた日系二世だ。真上は警察内でもごくわずかな十手の遣い手、能美は琉球空手の達人という格闘家の共通項があった。ある夜、新宿にある真上の下宿に能見が突然訪れ、下宿の人々に本場仕込みのジャズを披露する。その魅力にすっかりハマってしまったのが東北出身の女性、「りん」。りんはジャズ歌手を志す。


第一回 ダンスホール「カメリア」


 新宿の街の上に突き抜けるような青い空が広がっている。十月初めの月曜日だった。新宿・淀橋署の保安係刑事、真上誠治は同僚刑事の磐田とともに、捜査中の事案に関して関係者の何人かに会っているうちに夕方になった。真上は昭和十年の今年、三十代に入ったばかりだ。

署に戻る道すがら、三越の裏のダンスホール「カメリア」の前に大勢の野次馬がたかっているのを見た。この辺りはカフェやミルクホール、ダンスホールが林立している地域だ。「何をやっているんだ?」真上は野次馬の一人に声を掛けた。

「一対一の喧嘩だぜ。こりゃ見ものだ」と職人風の男は言いながら、これから起こる事態にうずうずしている。

 磐田にうなずいてから真上は野次馬をかき分けて、色ガラスをはめ込んだ観音開きの扉を開けた。店の中央で男が二人対峙している。ダンサーの女たちや客の男たちが壁際に避けてことのなりゆきを見守っている。

片方の男に見覚えがあった。その男は頭ひとつ分高い相手に、右腕を振り上げて突進した。相手の男は右腕を左手で軽く払うと、右手の指先で相手のこめかみを軽く叩いた。

その瞬間、膝から崩れ落ちた。「おおー!」見物人から歓声が上がった。

一方、背の高い男は涼しい顔で倒れた男を見下ろしている。その見事な捌き方に一瞬見惚れた真上だったが、「淀橋署だ。おとなしくしろ」と鋭く声を掛けた。

背の高い男は両手を広げて肩をすくめた。このきざな仕草はアメリカ映画で見たことがあると真上は思った。背の高い男は両手を上げた。

「なんのつもりだ」

「ホールドアップさ。それからボディチェックだろ」

 何を言っているかわからないが、とにかく、男の背広とチョッキ、ズボンを改め、財布、鍵、煙草、マッチを取り出し近くのテーブルに置いた。もう一つ、妙なものがあった。英語で書いてあるが、どうやらアメリカの旅券らしい。

「なるほど、アメリカ人か。姓名、年齢、住所を言え」

「能見丈二、三十歳、歌手、角筈の十二社に住んでいる。日系アメリカ人さ。ズボンの折り返しを確認しなくていいのか。何か忍ばせているかもしれないぜ」

「余計なことは言わなくてもいい」

 同い年かと真上は一瞬思い、能見と名乗ったその男に後ろ手で手錠を掛けた。

「真上、こいつメリケンサックをはめてやがる」と磐田が倒れている男の右手を顎で示した。「前野組の金石だな。あんたも変なところで会っちまったな。ま、気絶しているだけだろうから今のうちに手錠を掛けておくさ。そのうち気がつくだろう」磐田は腰から手錠を取った。

 真上は能見に向き直って、改めて能見をじっくり観察した。身長は五尺七寸(約百七十二センチ)の真上より少し高い。体重は同じくらいの中肉中背だ。

「メリケンサックね、なるほど。真上さんて言うんだね、刑事さん。なんでメリケンサックっていうか知ってるかい」

「メリケンはメリケンだろ。西洋ってことだな」と答えると、能見は「半分正解だ。メリケンはアメリカン、つまりアメリカの、という意味なんだ。僕の国のサックなのさ。それに襲われるなんて光栄だね」と皮肉っぽく笑った。

「軽口はいい。事情は警察で聴く」と真上は店の電話から署に連絡し、警察自動車を寄越すように指示した。

★☆

 省線の線路から西に延びる青梅街道の南側沿いに淀橋署はある。木造三階建ての二階にある保安係部屋に二人を連行し、それぞれ別の取調室で事情聴取をすることになった。すでに気絶から目を覚ましていた一太は、車の中で真上を認め一瞬気まずい表情をしたが、それ以降は下を向いたまましゃべらなかった。真上も声を掛けなかった。

 取調室で手錠のままの能見を改めて観察した。髪は黒で七三、ポマードで固め裾を刈り上げている。真上も同じような髪型で日本ではざらにいる。瞳は暗い茶色。日本人の血が入っているわりには彫りが深い。女は放っておかないだろう。

 再び氏名、年齢、住所、国籍を言わせたあと本題に入った。

「なぜ、喧嘩になった」そう聴き始めた時に多田健介が顔を出して目配せした。真上より一回り以上年上のベテラン刑事で淀橋署保安係の部長刑事、真上の上司だ。能見に「ちょっと待ってろ」と言い残し取調室を出た。「今、カメリアの経営者の関谷に事情を聞いた」多田が手短に説明した。

 前野組のチンピラ、金石一太はカメリアに入ってきて、歌っていた能見に詰め寄って、「お前か」と言いしな殴りかかった。結果、一瞬で金石は床にのびた。

「それだけですか」

「それだけだ」

「何もわからないじゃないですか」

「関谷もわけがわからんと言っている。能見から事情を聴け」

 取調室に戻った真上は「相手が殴りかかってきたようだな。原因は何だ」と事情聴取を再開した。

能見はさっきの軽薄な態度とは打って変わって真剣な顔つきになっている。「僕にもわからない。あの男を見たこともない。わけがわからないよ」と答えた。その時、金石を取り調べている多田が顔を出した。

[釈放だ」

「いや、聴取し始めたばかりで…」

「いいから。正当防衛だ」

納得はいかないが上司の命令だ。「釈放だ」と言いながら能見の手錠を外した。ソフト帽をかぶりながら能見は「真上さんて言うんだね。一度カメリアに遊びに来いよ」と言う。「そんな暇あるか。街には悪党たちが待っているんだよ」といなした。苦笑しながら能見は取調室を出ていった。

刑事部屋に戻ると多田が「ご苦労だった」と真上に声を掛けた。不満そうな真上の表情を見て、「事件にはならん。ただの軽いいざこざだ。金石は、日本人のくせにアメリカ人で、ジャズとかいうくだらない毛唐の歌を歌って金を稼いでいるのが気に入らなかったというのが理由と言っていた。今晩一晩、泊めて頭を冷やさせるが、明日釈放だ。組から誰かもらい受けにこさせる」と説明した。

「ちょっと一太に会ってみますよ」と取調室に入った。途端、机に頬杖をついて鼻の穴をいじっている金石を怒鳴りつけた。

「こらっ、一太! お前というやつは!」

一太は飛びあがって部屋の隅に逃げた。追いかけた真上は一太の坊主頭に拳骨を喰らわした。

いってえ、誠治さん、痛えよ」

「っつう、石頭だな、お前は。俺の手の方が痛えよ。殴った方も殴られた方もどっちも痛いんだ。それをお前は道具を使うとは。卑怯なやつだ。もう一発いくか?」

「勘弁してくれ。俺が悪かった、悪かったよ、この通りだ」

 一太は土下座した。日本人はなんでこんなに簡単に土下座をするんだ。お涙頂戴と同じぐらい土下座は嫌いだ。

「謝るならカメリアの主人と歌手に謝れ」

「でも、誠治さん。あの歌手、すごかったね。俺、なんで気絶したのかわからなかったよ。あれは何なんだろう」と首をかしげた。

「謝りに行ったついでに聞いてみな。それはそうと、なんで因縁をつけたんだ?」

「カフェの女が『カメリアにいい男がいるんだけど、もう女がいるんだろうね』って言うから、どんな野郎か見てみようと。そんで見たら、急に頭に血が上っちまって」

「妬いたのか。仕方がないやつだ」

「でもよ、色男で腕も立つって野郎、いるんだね、誠治さん」

「それはそうと、お前、しっかりやってるか? 街で俺を見るとこそこそ逃げるが」

「前野のおやじさんは男の中の男だぜ。俺、おやじさんのためなら命なんかいらねえ」

「お前がいいなら、それもいいさ。ただ、警察に世話になるようなことだけは勘弁しないぞ。いいな? 今日は一晩泊まって頭を冷やせ」

 取調室を出て、多田と磐田に事情を説明した。二人とも吹き出して大笑いした。


〈第一回・了〉




by toshi58asahi | 2025-05-23 07:00 | Comments(0)