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旭利彦の「日本人にとってのジャズ」

第95回「その後の『新宿スイング』」

【そして文化祭へ 第一章 吹奏楽部】第三回 へそ曲がりの血筋


翌七月十三日 日曜日の午前十一時、食堂井之上の電話が鳴った。取ったのは一恵だ。


「お休みのところ、すみません。私、岸臨太郎さんと同じ森山高校二年の五十嵐蘭と申します。臨太郎さんはいらっしゃいますでしょうか?」


「お休みって、うちは営業中だから休んじゃいませんが、臨太郎は今、出前に出ています。お急ぎですか?」


 臨太郎あてにはちょくちょく吹奏楽部の部員から電話が掛かってくるので、名前は憶えているが、五十嵐蘭という名前は初耳だ。彼女? 


「失礼ですが、吹奏楽部の方?」


「いえ、生徒会長をしています」


「生徒会長。あらあら、そんな偉い方が電話を。恐れ入ります」。少しも恐れ入ってない口調で言った。


 そこに臨太郎が帰ってきた。


「ちょっとお待ちを」。電話を手のひらで覆ってから、「たろう。高校の生徒会長のなんとからんという女の子から電話が入ってるよ。お前、つきあってんの? 隠していてこの子は」と言う。


「おい、母さん。いつまで電話を待たせるんだよ。相手方に悪いだろ」。太が諫めた。


「そうだね、ごめんよ」。一恵は受話器を臨太郎に渡した。


◆◇


「はい、お電話代わりました」


「あ、あの、五十嵐蘭と言います。同じ森山高校で二年生の」


「生徒会長の五十嵐さんですね。お話したことはありませんね。部活動の会合でお見かけしたことはあります」


「私も何度か。それで」


「はい」


「その」


「ああ、めんどくさい。良太から電話があったよ。五十嵐さんから電話があるかもしれないって」


「そうですか」


 臨太郎が砕けた口調で呼びかけても蘭は硬い口調で返すだけだ。臨太郎は蘭が話し始めるのを待った。


 客はいないから、手持ち無沙汰の一恵と太は臨太郎を注目している。


 決意したような雰囲気が電話の向こうから伝わったと思ったとたん、蘭が話し始めた。


「倉谷さんから岸さんのおばあさまの真上りんさんのこと、お聞きしまして…」。躊躇している。電話を掛けたはいいが、話があまりにも突拍子もない手前勝手なことだということを、じわじわ感じ始めたらしい。


「それで?」。臨太郎は面白くなってきた。以前の臨太郎であれば、困っている相手には手を貸していたが、このところ、少々底意地が悪くなってきている。


「い、いえ、いいです」


「おいおい、言いたいことがあったら言おうよ。良太から聞いてるよ。うちのばあさんに文化祭で歌わせたいんだって?」


 太が「へッ」と言った。一恵は無言だ。


「むずかしいと思うよ。うちの母親の母親だから、へそ曲がりの血筋なんだ」。そう言ったとたん、いつの間にか背後に立っていた一恵が臨太郎の腋の下をくすぐった。


「うひゃうひゃ」


「はい? 何ですか?」


「何でもない。とにかく話だけは聞こう。うちに来れば、じっくり話ができるけど」


「いえ、お邪魔だと…さっき、お母さまが営業中で、岸さんは出前に出ているとおっしゃいました…何かのお店なんですか?」


「知らなかった? そうだよね。うちは大衆食堂なんだ。電話は店だけ。えっ何?…五十嵐さん、昼飯はまだだよね。今どこ? 衣笠の自宅? そうか衣笠なんだ。ご飯を食べにおいでよ。今、母さんがそう言ってる。もちろんたださ。うちに来る僕の友達は全員食べている。吹奏楽部は全員さ。横須賀線なら一本だ。けど、一時過ぎになっちゃうか。腹ペコだね」


 意外な展開に戸惑う蘭だったが、「はい。お邪魔じゃなかったらうかがいたいです」と言った。臨太郎は国鉄大船駅からの道順を教えた。


◆◇


 その直後から店は立て込み始めた。客は撮影所の関係者がほとんどだ。臨太郎も帰ってきたらすぐに出るというフル回転状態だった。何回目かの出前を終えて店に戻ると、カウンター席の隅に女の子が座っていた。


「ただいまー」と言ってから女の子の近くに寄って、「いらっしゃい、五十嵐さん。待ちました?」と言うと、客の一人が「臨太郎。店でデートの待ち合わせかよ。ムードねえぞ」と言った。


「母さん、やっさん、食べ終わったって」


「まだ終わっちゃいねえよ」


「ほんとだ。終わってるね。はい、お勘定よろしく」。一恵が追い打ちをかけた。


「悪い、俺が悪かった。ほんと冗談も言えねえのかよ」


「母さん、やっさん、ほんとに食べ終わったって」


「ほんとに勘弁しろよ、ったく」。やっさんはテーブルにしがみついた。


◆◇


「あれ、まだ何も注文してないの?」


「あ、岸さんがお戻りになってからと思って」


「さすが生徒会長、きちんとしているね」。一恵が口を挟む。


店内に男どもの声が響いた。


「えーっ、生徒会長だって?」


「あー、うるさい。静かに食べて、食べ終わったら速やかに仕事に戻りなさい」


臨太郎が命じると、男どもは「ほーい」と言って静かになった。


「まずは何か食べようよ。その間にいなくなるから」


ひでえ言われようだと誰かが文句を言った。


一恵がやさしい口調で聞いた。


「五十嵐さんだっけ? 何が食べたい、って言っても若い女の子が好きなスパゲティだのピラフだのはないけど、似たようなあんかけ焼きそばやチャーハンがあるから。何がいい?」


「はい、じゃあ、天津飯をいただけますか?」


「はいよ、父さん、お嬢さんに天津飯、特別美味しいやつ。たろうも一緒に食べちゃえば?」


「うん。僕はチャーハンとラーメンにするよ」


「はいよ」


◆◇


「高校生なのにみんな頑張っているんですね。私は親のすねをかじるだけ」。蘭はしみじみ言った。


「ん? これ? お金のためさ。小遣いが少ない分稼がなきゃ」。親に当てつけだ。


「臨太郎。文句があるのならやってもらわなくてもいいぞ。母さん、日曜だけのバイト、誰かいないか?」


「分かった、分かったよ。働かせてください。お願いします」。店内は大笑いだ。


 蘭は表情を和ませて、「木下さんは鳶のアルバイトをやってるじゃないですか。荒井さんも喫茶店で。あっ!」。軽はずみに言ってはいけないことだと気が付いた。


「知ってるよ。寅松マーケットの『ミント』だろ? 何回か行った。その時、荒井さんとも会った。なぜバイトしているのかは聞いていない。本人が説明しないのに興味本位で聞き出すのは嫌いだ。でも、風の噂では…荒井さんも大変だね」


 そこに一恵が口を挟んだ。


「ミントって、たろうが初めて木下君に会った時に行った喫茶店だよね。木下君がチンピラどもと喧嘩していたのを、お前がトランペットで蹴散らしたってやつ。顔面血だらけの木村君が運転したバイクの後ろにお前が乗って行ったのがミントで、ママさんが手当てしたら、けがはしてないで、返り血だったって」


「母さん、そんなこと、若いお嬢さんに言いなさんな。ほら怖がっちゃ…いねえな」


 蘭は目をらんらんと光らせて聞いている。


「それが二週間ぐらい前だから、真吾や良太ともつきあい始めたのは最近なんだ」


 客たちも黙ってない。


「臨太郎、くわしく話せ」


 溜息をついてから臨太郎は簡単に説明した。


「横須賀が舞台でバイクに乗った学ラン姿の高校生、映画になりそうだな」。誰かが言った。うちの題材じゃないね、日活か東映か、そんなとこか、などという声を遮るように、


「ほら、もういいだろ。料理ができたぞ。二人とも食べろ」。太が言った。


◆◇


「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」。丼をカウンターの中の一恵に渡しながら蘭が言った。


「おそまつさま。テーブル席が空いたから、そっちに移ったら?」


 お茶を持ってテーブルに移った。


「先に真上りんの件を片付けちゃおうか」。臨太郎が言うと、「片付けるって。もういいんです。一人で盛り上がっちゃったけど、考えてみれば失礼な話ですよね。高校の文化祭でプロの歌手の方に歌ってほしいって。すみませんでした」。


「えっ、諦めちゃうの? 実はさ、吹奏楽部でジャズをやりたいって言ったら、りんさんはできっこないって突き放したんだ。だから、もういいと言ったら、お前はすぐに諦めると言われた。で、諦めなかったから、文化祭でジャズをやれることになった。その上、りんさんがやっている新宿のジャズクラブで、夏休みに部員がジャズ講座も受けられることになった。話の持っていき方だとだと思う。ちょっと考えていることがあるんだ。それを楽しみにしていてよ。こうした話、五十嵐さんには釈迦に説法だよね」


「えっ、どういうことですか?」


「良太に聞いたよ。木下真吾が演劇部でいることを反対している卒業生を説き伏せて、真吾が部員でいることを認めさせたって。俺が言うのも変だけど、ありがとう。で、それこそすごく効果的な話の持っていき方だと思うよ。それってすごくないか?」


「そんな。ただ、木下さんは演劇部に必要な人であり、特に文化祭でやる『北条政子』には木下さんと倉谷さんは欠かせない。そもそも不良が演劇をやっていけないという理由を教えてほしい、と言っただけです」


◆◇


 パチパチパチパチ。店内に熱烈な拍手が響いた。太と一恵の拍手だ。


「あなた、いいよ。尊敬しちゃう。そんな頼りになる生徒会長がいる高校に息子が通っていること、私、誇りにするわ」。太も大きくうなずいている。


「ありがとうございます…」。蘭の語尾は震え、大粒の涙が頬をつたった。


 驚いた一恵が蘭の肩を抱いた。


「なぜ泣くの?」


「分かりません。でも、生徒会長としてやってきて 初めて報われた気持ちになったら、なぜか…」


「またおいで」という一恵の声を背中に店を出た蘭を臨太郎は駅まで送っていった。


蘭は聞いた。臨太郎はなぜおばあさんを「りんさん」と呼ぶのか、一恵はなぜ臨太郎を「たろう」と呼ぶのか。


「おばあさんと呼ぶと怒られる。おばあさんではないという自負があるんだ。他人から見てもばあさんには見えない。来年還暦だってのが気に入らないらしい。だから、りんさん。母さんが僕を『たろう』と呼ぶのは、母親の『りん』という言葉を言いたくないからさ。祖母と母はすごく性格が似ている。だから反発しあうのさ」


 蘭は笑いそして「お母さま。お若いですね」と言った。


「うん、それ、本人に言ってやってほしかったな。すごく喜ぶから。僕を二十歳で産んだから確か三十七だ」


 五十九歳の祖母に三十七歳の母。だからこの天真爛漫さなのか、と蘭は見当違いな納得の仕方をして帰っていった。


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by toshi58asahi | 2026-02-12 16:43 | Comments(0)