2026年 02月 16日
第96回「その後の『新宿スイング』」
【そして文化祭へ 第一章 吹奏楽部】第四回 集団行動が一番安全
七月十二日、土曜日に戻る。
臨太郎によるジャズ基礎知識の講義の後、部員は臨太郎が持参したグレン・ミラー楽団ベスト盤の『アメリカン・パトロール』だけを何度も聴いて、部員それぞれが自分のパートの楽器の演奏を耳でコピーして覚えた。
その後、何度も聴いたレコードの『アメリカン・パトロール』を流しながら一人ずつ音を出させた。部員たちは曲に合わせて、部員は耳コピーと楽譜を頼りに必死に演奏した。もちろん顧問のかおりも同じように演奏した。
演奏の拙さは予想以上だった。部員全員、愕然となった。さすがに臨太郎だけは慣れたものだ。
内心の動揺を隠して臨太郎は、「とにかく、まず必要なのは吹奏楽部の各パート、各部員用の楽譜です。先生、スコア作り、手伝ってください。その間、みんなは自主練お願いします。今五時だから六時に戻ってきてください」と指示した。
森山高校吹奏楽部は正式のビッグバンドに比べて人数が少ないので、楽譜も人数に合わせて調整しなければならない。臨太郎とかおりは音楽室の隅の机に横並びしてスコア作りに集中した。
部員は邪魔をしないように、校内の好きな場所で練習するため音楽室を出ていった。
部員が音楽室に戻り、全員が帰宅した。臨太郎とかおりは残って十三人分の楽譜を作り続けた。
◆◇
七月十四日、月曜日、音楽室に吹奏楽部員が集まってきた。この日は顧問の水沼かおりは欠席だ。教師の本業があるから練習に専念できない。空いた時間に参加するということになった。
この日はまず土曜日に臨太郎とかおりが作った各パート、各部員用の楽譜を渡して、一人ずつ実際に音を出してもらうことにした。今度はレコードは掛けずに自分の音だけで勝負だ。土曜日とは格段に違う音だ。部員たちもびっくりしている。
「自主練が効いたんだね」。臨太郎が言うと、「家でもやっていたんです」と真理子が答えた。うなずいた部員も同様に自宅で自主練したのだろう。
火曜日、かおりが参加した。試しに全体で演奏してみたら、たどだどしいが何とか聴けるレベルになっていた。
水曜日から金曜日、ただひたすら音と演奏に磨きを掛けた。そして、金曜日もあと少しで部活動終了時間という時に、最後ということでもう一回演奏してみた。みんな疲れていたが、闘志は消えていない。
なんとか満足のいく演奏になったと臨太郎は思った。
◆◇
七月十九日、土曜日、二学期の終業式が終わると、吹奏楽部の部員は音楽室に急行した。翌日のジャズ教室初日に備えて、今日は練習は休みとし、翌日の「ノーチェイサー」までの行き方についての打ち合わせを行って、昼前には帰宅することになっていた。
この「行き方」でひと悶着あった。
部員の多くは自由に店まで行きたいから、交通手段と店の住所、地図を教えてほしいと希望した。が、かおりは学校の最寄りの鉄道駅である国鉄逗子駅で集合してから一緒に行くことを主張した。
「勝手に行くのは絶対だめ。なんてったって新宿よ。田舎の高校生が一人でボーッと歩いていたら、どんな目に遭うか分かったもんじゃない。集団行動が一番安全」と譲らない。
「えー? 毎回ですか?」。臨太郎が聞くと、「そう」と言う。
えー?という声が音楽室中に響きわたった。
臨太郎は「最初はそれでもいいですが、二回目からは別々に店に直接行くようにしましょう」と提案したが、かおりはこれも譲らなかった。しかし、殺意のこもった部員の視線を浴びて少し考え直した。
「それなら、パートごとにグループで逗子駅に集まって店まで行く。これでどう?」
「それもいいですが、いろいろ行き方があると思いますのでむずかしいですね。それならいっそのこと、国鉄新宿駅西口にパートごとに集まる。電車の中なら危険はないでしょう。クラリネットの二人とドラムスとベースは一緒のグループでどうですか?」と臨太郎が逆提案すると、「私は?」とかおりが不満そうに聞いた。
「そうですね。お好きなグループを選ぶというのはどうですか?」
「了解」。かおりはなんとか納得したが、部員たちの不満顔は直らなかった。
◆◇
ということで、一緒に行動するのは楽器パートで作るグループということになった。パートリーダーがそのままグループのリーダーということになった。
トランペットグループの四名は、リーダーが湯村真奈美(二年)で、以下、岸臨太郎(三年)、下条佳世(二年)、向坂幸一(一年)。
サックスグループの四名は、リーダーが篠原真理子(テナー。二年)で、以下、佐々木道徳(テナー。二年)、玉井希久江(一年、アルト)、百合岡信二(一年。アルト)。
トロンボーングループの四名は、栗原秀太(二年)がリーダーで、以下、深見圭子(三年)、桐谷裕子(一年)/春山徹(一年)。
クラリネットの仁藤和子(一年)、関根裕子(一年)は、コントラバスの秋山正人(二年)、ドラムスの根来仁(二年)と同じグループで、リーダーは持ち回りだ。
◆◇
七月二十日、日曜日、朝八時、数日前に梅雨が明けて、この時間から真夏の日差しが照り付けている。
国鉄逗子駅の改札前に、楽器を持った私服姿の森山高校吹奏楽部の部員十二名と顧問一名の総勢十三名が顔を揃えた。ピアノのかおり、ドラムスの秋山、ベースの根来は当然、楽器は持っていない。ノーチェーサーの楽器を借りる予定だ。
部員が揃っているか、各自、国鉄新宿駅までの切符を購入したこととともに確認したかおりは「じゃ、行くわよ」と勇ましく声を挙げて改札に向かった。「修学旅行かよ」という声が聞こえているはずだが、かおりは聞こえないふりをした。
吹奏楽部ご一行、計十七名は緊張した面持ちで西新宿の青梅街道に面した四階建ての臼田ビルを見上げた。そして視線は一階に出ている真っ赤な地に白抜きの「NO CHASER」の看板に移った。
「みんな、覚悟はいい?」。かおりが押し殺した声で聞くと、「はい」と部員たちは答えた。なぜか殺気立っている。
お前たち、赤穂浪士の討ち入りか、と臨太郎は心の中で苦笑したが、茶化す気はない。何と言っても、これから吹奏楽部がビッグバンドになれるかどうかの瀬戸際なんだ。
臨太郎は腕時計を見て、「ちょうど約束の十時です。行きましょう」と看板の横の階段を降り始めた。一行は臨太郎の後ろに従って静かに降りていく。
ビル一階に出ている真っ赤な地に白抜きで「NOCHASER」の文字が目立つ。真っ赤なスチールのドアがあり「準備中」のプレートが下がっていた。その看板の横の階段を下りていくと、真っ赤なスチールのドアがあり「準備中」のプレートが下がっていた。
この間来たのは六月二十二日、今日と同じ日曜日。あれからたった四週間しか経ってないのに、吹奏楽部は大きく変貌した。いや、変貌の真っ最中だ。臨太郎は感慨深かった。
だが、最も変貌を遂げているのが、臨太郎自身であることを本人は気が付いていない。周りの人間が全て気が付いてるのにも関わらずにだ。
臨太郎はドアを開けた。
◆◇
ドアを開けたはいいが、中に進もうとしない臨太郎が邪魔で、部員たちが臨太郎に次々にぶつかってくる。
「部長、突っ立ってないで中に入ってくださいよ」とか、「何をボーッとしてるんですか? また自分の世界に入っちゃったんですか?」など抗議の声が上がった。
「あ、悪い」と臨太郎が謝って横に退くと、十六名が店の中になだれ込んできた。
バックヤードから真上りんと能見丈二がおでましだ。
「時間厳守だね。偉い偉い。みんな、おはよう!」。りんは張りのある声で挨拶した。
「おはようございます。どうぞよろしくお願いします」と言って一斉にお辞儀をした。
顧問のかおりが一歩出て、「本当にお忙しいところ、私たち森山高校吹奏楽部のためにジャズ教室を開催していただき、誠にありがとうございます。教頭の金井もうよろしく申しておりました。それから…」とくどくど挨拶が続きそうなのを、「はいはい、了解。まあ、そこらへんに座ってよ」と遮った。昨日、かおりは進物を持参することにこだわっていたが、「そういうの、りんさんは好きじゃないと思います」の一言で断念していた。
「あ、はい、では、みなさん、パートごとに座ってください」。かおりが言い終わると、りんが「まず業務連絡。今日、昼食はどうする?」と聞いた。
「お弁当を持参しました」とかおり。
「夏場だからね、食中毒を考えたら…」
「みんな梅干しをたっぷり入れた弁当やおにぎりを持ってきました」。副部長の真理子が答えた。
「そお、じゃあ、念のため、冷蔵庫に入れておこうか。業務用だから入ると思うよ」
弁当がカウンターに集まった。臨太郎は勝手知ったる店の内部だから、カウンターの中に入って弁当を冷蔵庫に収納した。
「臨太郎、ついでに飲み物用意して。そこに大きめのタンブラーあるだろ。それに水と氷を入れて、冷蔵庫の中にあるレモンの輪切りを適当に入れてちょうだい」
「手伝います」と全員が椅子から立ちかけたが、臨太郎は「圭子、手伝ってよ。可愛い後輩のためにさ」と言ったので、圭子がカウンターの向こう側に行った。
「岸君。りんさん、やっぱりすごい貫禄だね。私、無理だと思う、やっぱり」と作業をしながら圭子が臨太郎に囁いた。
「大丈夫だって。自信を持つんだ。絶対大丈夫」
そんなことを囁きあっていると、カウンターの向こうから、「飲み物運びます」、「コップをこれでいいですか」と何人かの部員の声が聞こえた。
◆◇
りんがカウンターのスツールに座ってにこやかに部員たちを見ている。その横で丈二が口を開いた。
「さて、みんな。今日から毎週日曜日、ここでジャズ講座を開く。臨太郎から聞いたところでは、一曲練習してきたそうだが、まずそれを聴かせてくれ。その前にウォーミングアップが必要だろ。特にこの店の楽器を使うピアノ、ドラムス、ウッドベースの三人は、使い慣れたのじゃないから、慣れるのに大変だと思う。できると思ったら声を掛けてくれ」
そう言ってから、かおりと秋山と根来を手で招いて、グランドピアノ、ウッドベース、ドラムスに案内した。
「ベースとドラムスには楽譜台があるが、ホーンセクションはテーブルに楽譜を置いてやってくれ。やりやすいように座っても立ってもいい。オーケーか?」
オーケーです、の声が唱和されて、準備が始まった。
ベースの秋山とドラムスの根来はすぐに馴染むことができたが、顧問のかおりは椅子の高さを直したり、楽譜の位置を調整したり、なかなか馴染むことができないようだ。
「先生、いくらやってもおんなじですよ。弾きながら慣れたらどうですか?」。テナーサックスのミッチーの遠慮のない声が飛んだので、なんとか秋山と根来と視線で会話して、「オーケーです」と宣言した。
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