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旭利彦の「日本人にとってのジャズ」

第97回「その後の『新宿スイング』」

【そして文化祭へ 第一章 吹奏楽部】第五回 弾けろ、演奏を楽しめ、ジャズを楽しめ


 演奏を聴き終わって、りんと何か囁き合っていた丈二の表情が険しいのを見て、吹奏楽部全員の顔が強張った。

 臨太郎の頭に、先日の自分の発言が蘇った。

(『だめだ、やめな』と言われるかもしれない)

 部員が固唾を飲んで丈二の言葉を待った。

「何を殺気立ってんだよ。お前ら、怖いぞ。んじゃ、俺たちの感想ね。素人としては上出来だ。が、人に聴かせるレベルじゃない」

店内に溜息が渦巻いた。

 臨太郎は「だめですか?」という言葉をなんとか捻りだした。

「だめですか、って、そうは言ってないだろ。今の段階じゃ、人に聴かせられないと言っただけだ。お前ら、何を落ち込んでいるんだ?」。丈二は理解できないという表情で言った。

「あの、実は僕たち、最初の演奏を聴いてもらうのをオーディションと考えていたんです。だから…」

「あれ? すぐに通用すると思ってたの? 甘い、甘すぎる」

 りんが辛辣な感想第二打を放った。

 丈二が大きく溜息をついてから言った。

「昨日まで吹奏楽をやってた連中に、すぐに一人前のジャズをやられちゃ、プロがかたなしだ。今の段階では、教え甲斐はあるかもなというレベルだな。な、りんさん」

 りんはうなずいてから、「これから大変だ。お前さんたちもこっちも。根性入れてやってね!」と言った。



◆◇



 それから、具体的な講評が下された。

「お前たちの演奏はなによりも楽しくない。ノッてない。スウィングしてない。楽譜に忠実に間違えないようにということだけを考えてやってるから、ガチガチになっている。もし、これを文化祭で聴かされたら、オーディエンスのみなさん、ご愁傷様って感じだなあ」

 店内は鎮まりかえっている。

「だから来週、もう一度聴かせてもらう」

「いや、予定では次の日曜日は別の曲で…」

「何を言ってるんだ。一曲が完成しないで次の曲というわけにいかんだろ」

「でも、夏休み中にはなんとか全曲をマスターしないと…ジャズ講座の回数も限られているんだし」

「夏休み中に終わらなくてもいいだろ」

「何言ってるんですか? 丈二さん」

「だ、か、らあ、二学期に持ち越してもいいんだろ?」

「言ってることがよく分からないよ」

「お前、頭悪いのか? 耳が悪いのか?」

「ジョージ、そのへんにしておきなよ。臨太郎、からかってるんだよ。つまり、夏休みが終わってもコーチは続けるってことさ、文化祭まで」

 一瞬、間が空いて吹奏楽部員全員が「エーッ!?」と叫んだ。

「丈二さん、いいんですか?」

「いいんだよ、そう決めたの。何? 嫌なのかよ、お前ら」。部員たちの顔をねめまわした。


◆◇


 丈二は「午後に本格的な指導を行うから、早めに昼食を食べよう」と言って。りんと一緒に外に食べに出た。

「部長、私たち、これからどうなるんでしょうか」。真理子がおにぎりを頬張りながら言った。

「真理子、大丈夫よ。見込みがないのなら、部長が前に言ったように『だめだ、やめな』って言われたはずだから」。圭子が慰めた。

「そうよ。とにかく第一関門は何とかクリアしたんだから上出来よ」。かおりが言った。

 とはいえ、吹奏楽部員の意気は下がりがちだ。

 食べ終えた部員から自主練を始めた。

 午後一時にりんと丈二が戻ってきた。その後ろから年配の男女が姿を現わした。

「あ、こ、こんにちは」。かおりが挨拶した。

「こんにちは、お邪魔しますよ」。ブラウスにパンタロン姿の女性が挨拶に応えた。

 臨太郎以外の部員たちはとりあえず「こんにちは」と言ったが、相手の正体が分からないから戸惑っている。

 臨太郎が「絹さんとせいさん、何しに来たの?」と聞いた途端、「あっ!」という声がそこかしこで上がった。

 絹と誠治の名前は伝説化している。直接会ってないが、演劇部方面から、その存在感については聞こえてきている。

 丈二さんの奥さんだよ、りんさんのご主人、ということは部長のおじいさん、などという囁き声が店内に満ちた。

「陣中見舞いってところかしら、追分団子を買って来たから食べてね。人数分あると思うから」と言って、紙袋をかおりに渡した。

 部員は恐縮して「あ、ありがとうございます」と唱和した。

 誠治は「臨太郎の馬鹿が世話を掛けていると思うが、よろしく頼むな」とぼそりと言って店を出ていった。絹は後に続いた。部員たちは焦って「分かりました」と答えた。それが臨太郎は馬鹿ということを暗に肯定しているということにみんな気が付かないほど緊張している。


◆◇


「さて、俺のことを少し説明するか。俺はハワイ生まれの日系アメリカ人だ。戦前に新宿にやってきてダンスホールでジャズを歌った。ある事件で知り合った真上誠治を介して、りんさんのジャズの素質に惚れ込んだ」と言ってりんを振り返った。

 りんがうなずくのを見て、「で、戦後、日本語と英語ができることから通訳として再び日本の土を踏んだ。そして、俺はもう一度、日本でジャズをやろうと思った。りんさんを再び歌手にするというやり方でな」と続けた。

「戦後、日本には進駐軍と一緒にジャズが押し寄せてきた。多くはスウィングジャズだった。代表的な存在は『ゲイ・クインテット』というバンドだ。これは戦前から日本で活動していたフィリピン人ジャズメンのフランシス・キーコとレイモンド・コンデという人たちが結成した。キーコはピアノ、コンデはクラリネットだった」と言ってレモンウォーターを飲んだ。

「一方、進駐軍と一緒にアメリカからやってきたジャズメンも多くいた。その中でも有名なのは、ハワイ出身の日系アメリカ人の俺と同じように通訳として来日したジェームズ・荒木だ。サックス奏者だ。ゲイ・クインテットがスウィングジャズをメインに演奏していたのに対して、ビバップという次世代のジャズを日本のジャズメンに紹介したのが荒木だった。俺はこの時点でビバップに馴染めず、スウィングジャズをやっていた。ただし、歌はやめてジャズギターの奏者としてだ」

 部員たちは息を呑んで丈二の話を聞いている。

「何かを言いたいのかというと、そういう戦後のめちゃくちゃな時代に、ジャズはぴったりな音楽だったってことだ。戦争に負けてアメリカに占領されて、食べるものがないし、未来がどうなるか分からない。不安だらけだ。何もかも全てやり直しだけど、だからこそ全て自由に進んでいける。圧倒的な解放感にはスウィングジャズほどマッチした音楽はなかったんだ。君たちはあの時代を知らないだろうが、あの時代に自分がいたらどうだっただろうかということを想像しながら演奏してもらいたいと思うんだ」

 りんが続けて、「というのは年寄りの冷や水。好きにやればいい。音符を間違えるのを恐れるな。間違えるのを怖がったら気持ちが萎縮する。間違えたら次に間違えなければいい。委縮するとジャズが楽しくなくなる。ジャズメンの楽しい気持ちは演奏でオーディエンスに伝わるものなんだ。ジャズの場合、スウィングすることが一番大事で、そのためにはリズムが一番大切だ」と言った。

 あ、僕と同じことを言ってる、と臨太郎は思ったが、本物の言葉は重みが違う。


◆◇


 もう一度、『アメリカン・パトロール』を演奏した。丈二はりんと話し合っている。

 演奏が終わると、「さっきの話が少しは効果あったようだ。ノリ始めている。だが、まだ及び腰だ。弾けろ、演奏を楽しめ、ジャズを楽しめ。俺たちの体が動き出すようにしてくくれ。スウィングジャズはダンスミュージックだ。ダンスホールの客が踊れなければ失格だ。俺たちが踊れるようにしてくれ。もう一回」と言った。

 丈二は順番に楽器の各パートグループの近くに寄っていって、じっくりと聴き始めた。

 トランペット、サックス、トロンボーン、クラリネット、ピアノ、ベース、ドラムス。表情と頭の動き、手振り、時には足振りで指導していく。それはさながら指揮者のようだ。それも、クラシックのような威厳のある指揮者ではなく、ちょっと古いが「スマイリー小原」のような、それ自体が一種の芸になっている動きなので、部員の中には笑うのを必死にこらえている者もいる。

 他校の吹奏楽部の多くは顧問の教師が指揮を執るが、森山高校吹奏楽部に指揮者はいない。代わりに生徒のコンサートマスターが演奏の傍ら、部員の演奏を目配りする。

 いずれにせよ、グレン・ミラーもベニー・グッドマンも演奏者兼バンドマスターだ。うちの部はそういう意味ではもともとジャズバンドの形態を取っていた、と臨太郎は思った。

「こら、臨太郎。演奏に集中しろ。すぐにお前のソロだ。さっきみたいにレコードを真似ることはない。お前のインプロヴィゼーションで行け。すっ飛ばせ」。手拍子を打ちながらりんが煽り立てる。

 丈二とりんのアジテーションは、部員たちのジャズに対する違和感だとか遠慮とか尻込みなどを削り取っていった。ジャズのリズムに没入しなければ、丈二は目敏く見つけて至近距離で煽り立ててくるのだ。油断できない。

 そんな濃厚な時間を一時間ほど過ごした。部員たちはへとへとだった。肩で息をしている者もいる。

「とりあえず、練習はこれくらいにしよう。後は自分たちでさらにブラッシュアップしたものを、今度の日曜日に聴かせてくれ。それと並行して次の一曲を決めておくか。臨太郎」

 さっきはそんなこと、言ってなかったくせに、と思ったのが表情に出たのだろう。

「何か文句あるのか。そうか、言わなきゃ分からんか。『アメリカン・パトロール』が予想外に早くマスターできたから、次の分も明日から練習しておこうというのが気に入らんのか。だったら、みっちり『アメリカン・パトロール』だけ練習するか」

 すかさず真理子が「分かりました。次の一曲を決めたいと思います。ね、部長、そうですよね」と言うと、「その通りです」「オーケーです」という声が全員から上がった。

「どうだ、臨太郎。どうするんだ」

「分かったよ。曲はグレン・ミラー『イン・ザ・ムード』と『ムーンライト・セレナーデ』、ベニー・グッドマン『レッツ・ダンス』、デューク・エリントンの『テイク・ジ・Aトレイン』、カウント・ベイシー『ジャンピン・アット・ザ・ウッドサイド』だよ」

「それじゃ、まずはグレン・ミラーをマスターしようぜ。『イン・ザ・ムード』はアップテンポ、『ムーンライト・セレナーデ』はスローテンポ。どっちも戦後、大人気のナンバーだったんだ」

「ジョージ、見てみなよ。みんな精魂尽き果ててるよ。絹さんがくれた団子で一休みしない?」

 通常なら歓声が挙がるところだが、疲れ果てた部員からは何の反応もない。

「しょうがないね。真理子と圭子、手伝って。日本茶入れるから」



参考文献:
戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ(マイク・モラスキー。岩波現代文庫。二〇一七年五月一六日第一刷発行)



by toshi58asahi | 2026-02-20 05:06 | Comments(0)