2026年 02月 26日
第100回「その後の『新宿スイング』」
七月十九日、土曜日、終業式を終えて演劇部の部員はいつもの練習場所である教室に集まってきた。明後日、二十一日、月曜日からの夏休み中の練習スケジュールを正式に決める会議がある。
部長の高山洋子と副部長の島田美紀は、憂鬱な表情を浮かべながら、教室にやってくる部員たちと挨拶を交わしていた。表情がすぐれない幹部たちを見て、部員たちは一様に不安な気持ちを抱いた。
「では、早めにお昼を食べちゃおう。男子二人はどこかで食べてから来るって」。美紀の言葉をきっかけに、部員たちは弁当を食べ始めた。いつもなら賑やかな昼食時間だが、洋子と美紀がたまに溜息をつきながら食べるものだから、二人の憂鬱が伝染して教室全体の空気が重い。
「洋子先輩と美紀先輩。何なんですか?」。クルクル天然パーマの二年生、手塚敏江が尖った声を上げた。「明日から夏休みだからみん。な張り切ってるのに、それに水を差すみたいな態度、やめてください」先輩に対しても遠慮せずに直言するのが手塚のいいところであり怖いところだ。
「配役」と洋子がぶっきらぼうに言った。
「えー! やっと決まるんですね」。手塚が叫ぶと、他の部員たちも歓声を上げた。
◆◇
男子の笑い声がだんだん近付いてきて、ドアが開いた。
「ちわ」「ちわ」女子は絶対しない乱暴な挨拶とともに男子二人が入ってきた。
その瞬間、洋子は荒井薫子の顔がパッと輝いたのに気づいた。真吾も入ってきた瞬間に視線で薫子を探し、二人が一瞬視線を絡ませる。あの事件が起こってからずっとだ。演劇部の全員が知っている。知らないと思っているのは、おめでたい二人だけだ。
「お昼を食べてからって言ったけど、あんたたち、遅すぎるよ。もう十二時半。さっさと席に座って」。美紀が言うと、「今日はあなたたちに関係する大切な話から始めるわ」と洋子が続けた。
「以前渡した台本は大幅に改稿します」と洋子。そして、黒板に配役を書いた。
脚本、演出=高山洋子(三年、部長)
北条政子=荒井薫子(二年)
ここまでは予定通りだ。
郎党=木下真吾(三年)
「何? 頼朝は? 郎党って?」。部員たちが不思議がった。
政子の妹、保子=島田美紀(三年)
説明者=倉谷良太(三年)
「えっ? 説明者って?」。部員たちはさらに不思議がった。
侍女=四名。未定
◆◇
洋子が振り返って、「くわしく説明するね。それから質問を受け付ける」と有無を言わさない表情で言った。
そして、ちょっと芝居がった口調で言った。
「この芝居では頼朝が出ません。それだけでなく政子と保子以外は役名もありません」
衝撃的な宣言だった。部員たちは反応することも忘れて洋子の顔を見つめている。
「第一稿を読んでもらった後、何人かから意見をもらったの。歴史や国内事情、登場人物の置かれた環境、人間関係などが複雑すぎて、芝居だけでは説明できない。観客に伝わらないだろうなって、書いた私自身も書いた後で気になっていたの。だから、そのいろんな情報を説明者ができるだけ簡単に説明する」
いち早く劇作家、洋子の意図を理解した部員たちは、「すごく斬新」とか「第一稿よりずっと分かりやすい。あ、部長、すみません」とか「早く観たい、あ、やる方か」など私語が飛び交った。
良太も理解したが、真吾は、「よく分からんが、良太が必要なくなったことだけは分かる。もちろん俺もだ。無理やり『郎党』だの『説明者』だのにする必要はないだろ」と意地悪く笑った。「そういうことだな」と良太は同調した。
焦った洋子は「そういうことじゃないの。必要ないなんて言ってないじゃない。もっと必要になったのよ」と大声で返した。
「とにかく俺の役割は分かった。しかし、真吾の『郎党』というのもまたしぶいね。どういった設定になるのかな」。良太が聞いた。
「うん、頼朝が戦っている中、その戦況を政子に知らせる役目で、もう一つ重要なのは大けがを負いながら頼朝の行方不明を知らせる役目。これが政子が自立するきっかけになる大切なシーンになる。政子との絡みも多くなるね」
最後の言葉は薫子にとってはうれしいニュースだ。洋子はあえて強調した。薫子は顔を紅潮させている。
そこに真吾が口を挟んだ。
「だったら、その役を良太がやればいいじゃないか。俺は良太にくっついてきただけだから。俺はお役御免だろ?」。女心が全く分からない無粋な奴、と洋子は心の中で詰った。
「はっきり言うと、役者として倉谷君より木下君の方が才能あると思う」
その瞬間、薫子は男子二人の顔を見た。部員全員が男子二人に注目した。ショックだろうと思った良太は淡々とし、評価された真吾は困惑していた。
「この一カ月近く、手塚のコーチで二人とも役者としての基礎練習を行ってきた。その成果を見るため月曜日に即興の芝居をやったでしょ」
二人を何人かの部員と組ませて、路上で幼馴染と会った、突然恋人から別れを告げられた、友達がいじめに遭っている、などの簡単な設定で芝居をさせるというものだ。
「木下君は予想以上に役者としての資質を持っていることが分かった。動きは硬いし、しゃべりは棒読みの上にぶっきらぼう。でも、木下君はそれが個性だと思う。木下君には失礼な言い方かもしれないけど、意外に掘り出し物かもしれない。何よりも鎌倉時代の武士の郎党にはぴったり」と大絶賛だ。
「一方で、倉谷君は芝居心がある。高校生とは思えないほど弁が立つ。それは真上誠治さんや臼田絹さんが指摘していた。現代を舞台にしたコメディーならそれが生かせると思うけど、今回の芝居には合わない。だけど、落ち着いた口調で物事を説明する才能はすごいと思う。だから、芝居に絡まない説明者にしたいと思ったの。今回のような台本にしようと思った大きな理由は、今言ったような二人の存在があればこそなの。二人がいなかったらこんな発想はでてこなかった。感謝します」
部員全員がこの提案を受け入れた。
◆◇
「美紀は三年生で最後の舞台ということで、無条件に役が付きます」
残りは十名。
政子や保子の「侍女」役には四名。
残りは六名。
「そこで相談なの。薫子は演劇部の練習にかかりきりになれない。木下君も夏休みはアルバイトの掻き入れ時だからおんなじ。だから、二人はアルバイト優先で練習をする。これについては前に言ってある。みんなの了解はもらっているわね」
部員たちはうなずいた。
「それから、三年生部員も練習にかかりきりになれない。というのも受験勉強があるからです、私も含めて。私と美紀は私立女子大学の推薦入試を受けるので一般入試に比べたら楽かもしれない。でも、念のため受験勉強もします。倉谷君はまだ進路が定まっていないけど、大学行くんでしょ?」
「ん? ああ、勉強やんなきゃなあ」。のんびり言うと、「落第でもう一回、三年生だったりしてね」と美紀が言った。
「ということで、来年も説明者ということで、よろしく!」。洋子の言葉に部員たちは大笑いだ。
「冗談はともかく勉強もね、説明者さん。木下君は?」
「たぶん、今のアルバイトの鳶の会社にそのまま就職することになるだろうな。就職活動なんて面倒臭いし、受け入れてくれる会社もないだろうし、な、手塚」
何で自分に聞くは分からないまま、真面目な手塚は、「ああ、いえ、そんなことはないと思いますが、実際に面接すると何だか怖いというか、その、言うことを聞かなくちゃならなくなって、面接する人も困るんじゃないかと思うわけで…」。言っていることが分からない。
「手塚、困らして悪い。俺は就職組だ」
「そういうことだから、私、美紀、倉谷君も練習にかかりきりになりにくい。そうなると練習が進まない。対策として、薫子、木下君、美紀、倉谷君の四人がいない時は、他の部員が代役をやる必要があるのよ」
そういうことなのか、ん? 「というと、代役の四人は本番で役がないということですね」。手塚が鋭く指摘した。教室の中が急に緊張した。
◆◇
「そういうことになる。でも、代役の人たちは代役を担当するメリットもあるのよ。この作品が好評で、今後も公演することになった場合、その代役の人はその役に付く優先権を得ることができるの」
部員たちがざわつき出した。
当然だ。初演の今回、侍女役を獲得するか、来年度以降の次回の公演での主役および重要な脇役の獲得を希望するか。決めなければいけないのだ。
良太が「公平な仕組みを考え出したな」と言った。
「褒めてくれてありがとう。でも、これがベストかどうかは分からない。美紀と二人ですごく気が重かった」
侍女役四名。
代役四名。
残りの二名は役者じゃなくて裏方だ。
それを、二年(六名。手塚敏江、甲斐みつき、小野寺真琴、立川京子、美濃部里香、橋本律子)と一年(四名。水島裕子、桐生朋美、中村忍、玉木純子)で調整する。
「ということ。どうかな」
オーケーですという声が十名から上がった。
「賛成してくれてありがとう。では、来週月曜日までじっくり考えてください。私は月曜日までに新しい台本を仕上げてきます」
重い荷物を下ろしたような表情で洋子は言った。
※バックナンバー
第1回●ラーメン屋のBGMがジャズの安住の地? : 旭利彦の「日本人にとってのジャズ」
第20回●新シリーズ「渡辺貞夫と山下洋輔」 : 旭利彦の「日本人にとってのジャズ」
第27回『新宿スイング~十手とジャズ~ 第一回ダンスホール「カメリア」』 : 旭利彦の「日本人にとってのジャズ」
第49回『ジャズへのアプローチは無限にある「ジャズと麻薬と小説と」』 : 旭利彦の「日本人にとってのジャズ」
第58回「その後の『新宿スイング』」 : 旭利彦の「日本人にとってのジャズ」
※アサヒは別のエキサイトブログで小説を掲載しています。
良かったらお読みください。
「尼僧は腕っぷし~街に地上げがやってきた」第1回●ホコテンに寝て、下から歩行者を眺めてみませんか? : 小説アサヒ
「尼僧は腕っぷし~平成鎌倉宗教の乱」第1回 : 小説アサヒ

